時ははるか8年前にさかのぼる。
2007年、「千の風になって」がホームラン性のポテンヒットを飛ばし、沢尻エリカが「別に」と言い放つクローズドでデスノートな会見を開き、「どげんかせんといかん」がヒガシコクバル化の進んだ日本で流行語になった年である。
そのころ私は、これほどまでに平和で満ちた祖国に別れを告げ、千の風になった。
いや、「私の強みはコミュニケーション力です!」と大ウソをぶっ放し合う第一次就活大戦で遺憾なる戦死を遂げ、親の反対も「別に」と言い残し、自分の人生をどげんかせんといかん!と旅に出たのであった。
最初の国、シンガポールに入国して12日。
マーライオン、マレー鉄道、ペナン島、カオサンロードと、ついに私は誰とも話すことなく、カンボジアのシェムリアップまでやってきた。
これは憂慮すべき事態にして失態である。何を隠そうこの旅は、20年以上こじにこじらせたコミュ症を刺激療法的に克服する! と意を決して飛び出したはずだったからだ。
というわけで、これから始まるのは、夕焼けに染まる栄枯盛衰の移りゆく憐れみに「これは……涙? わたし、泣いてるの?」するアンコールワット的な話ではない。これは、哀れなコミュニケーション力を物語るものであり、物語というにはあまりにも語るに落ちるミゼラブルである。
前置きがアニメ「ドラゴンボールZ」の冒頭に入るあらすじのように長くなってしまったが、時はカンボジア・シェムリアップ初日の朝である。
昨晩は深夜にチェックインしたこともあり、誰とも話すことはなかった。が、今朝は違う。ここは日本人宿として有名なタケオゲストハウス。
さっそくロビーにいた「ヒゲオヤジ」に躊躇アリアリのマシマシで、ラーメン二郎で初めて注文したときくらいのビクビクチョモランマで話しかけた。
私は言う。「ど、どこにいかれるんですか?」
ヒゲは言う。「アンコールワットです。あなたは?」
私は言う。「よ、予定はなくて」
ヒゲは言う。「そうですか」
私は言う。「そうなんです」
言う、言う、言う。この一連の文章力のごとく稚拙なコミュニケーションは、一切の文脈を無視した私のエキセントリックで全力少年な一言で幕を閉じる。
「わ、私は喜び組に会いにいきますっ!」
今回の舞台はそう「北朝鮮レストラン」。
かつてカンボジアのシアヌーク国王が金日成と交友があったため、この街には世界的にも珍しい北朝鮮直営のレストランがあるのだ。しかも、ウェイトレスは全員喜び組とのウワサ。
かくして私は偉大なる世界遺産に背を向け、めくるめく秘密のレストランへ向かったのであった。ひとりぼっちで。本当はアンコールワットに誘って欲しかったのに……。
会いに行ける喜び組 “YKB48” 劇場の秘密
宿からバイクタクシーで10分ぐらいだろうか。意外にも大通り沿いにそのレストランは存在する。隠れ家的な雰囲気は一切ない。まるで田舎町に黒船のごとくやってきたイオンモールのような存在感で、それはもう堂々とそこにある。
バイクタクシーを降りて入り口のドアに近づくと、気配を察した喜び組が2人、出迎えてくれる。「喜び組1」と「喜び組2」。同じ顔だからそう呼ぶことにする。
何度話しかけても「ここはアリアハンの村です。」としか言わなさそうだ。しかし、
「●※◆☆¥@?」
必然のように朝鮮語で話しかけられた。当然のように意味がわからない。
……いや待てよ、「合言葉を言え」と言われているのかもしれない。何しろここは北朝鮮レストランなのだ。そう簡単に敵国スパイを侵入させるわけにはいかない。
……いや待てよ、日本人と朝鮮人の顔に違いはない。日本語さえ話さなければ、朝鮮市民を偽装できるかもしれない。
私が出した答えはひとつ。
「(一名様ですぅ……)」
そう心でつぶやきながら人差し指を立てる。言葉を介さないコミュニケーションは日本人の得意技だ。いや、コミュ症の生きる道なのだッ!
喜び組1&2「(……ニッコリ)」
そのとき、目の前に立ちはだかっていた無駄に荘厳な扉が「ゴゴゴゴ……」と音を立てて開かれた。一瞬のためらいをゴクリと飲み込んで、恐る恐る店内に入っていく。
ベルトに仕込んだカラシニコフに手を伸ばしたいところが、あいにく手に触れるのはカクシサイフくらいだ。少なくとも全力で買収する準備は出来ている。
顔を上げて薄暗い店内を見渡すと、奥のほうに古いホテルの宴会場のようなステージがあり、それを取り囲むようにテーブルとイスが秩序正しく並んでいる。が、なんとなく地方のファミレスのように安っぽい。
それなりにたくさんの人が席についていて安心したものの、よくよく見るとあきらかに韓国人ツアー客だらけである。日本人らしき人物はゼロ。私はハムニダ飛び交う韓国人の群れから距離を置き、ひっそりと席につく。
まもなく注文を取りにきた喜び組2に、メニューを見ながら指差しで注文することで、一言も言葉を発することなく、ひたすら笑顔で頷くことで注文を終える。完璧だった。
あらためて周りを観察してみると、喜び組3、喜び組4、喜び組5……喜び組∞。総勢すると20名以上はいるだろうか。
全員がお面のように同じ顔をしている。(だが、かわいい。)
同じ髪型をしている。(だが、かわいい。)
シワひとつチリ毛ひとつ許されないかのような厳粛性がそこにはある。(だが、以下略。)
決して無表情というわけではない。「おくゆかしい」という概念を逆輸入したくなるような礼節が、笑顔が、奥二重のように潜んでいるのがよくわかる。
しばらく目移りを楽しんでいると、ひときわ美しい「喜び組3」が天女のようなかろやかさで料理を運んでくる。
……ウマくないわけがない。
やがて食事も終え、かつて「韓流スター」と大阪のオバチャンに称された微笑みを顔面に貼り付けて、喜び組によるショータイムがはじまるのを待っていた。
そう、私が北朝鮮レストランにやってきた真の目的はクライマックスステージにある。
なんでも、ウェイトレスを含む喜び組全員が「YKB48」、つまり「喜び組48」として歌って踊って大円団! してくれるらしいのだ。
あの喜び組が本当に? そりゃ世界遺産より見たいでしょ! と、そこに、
「あの~、すいません」
(に、日本語!? )と驚き振り返ると、そこにヒゲオヤジがいるではないか! 今朝の会話では興味なさそうに去って行ったくせに、私のエキセントリックで全力少年な一言に感化されて、いまいましくも後を追ってきやがったのである。
ヒゲ「となり、いいですか?」
(こ、ここで日本語を使っちゃマズいっしょ……)と思うも遅し。
パリン! とお皿を落とす音……は聞こえなかったけど、それほどまでに周りの空気は張り詰め、天女に見えた喜び組3が鬼女へと変貌した……気がした。
「アイロンでもかけたの?」と聞きたくなるような眉間にシワまで寄せて、ヒゲと私を見ている! 仲間になりたそうに……では、決してない。と、そこに、
バチン……!
突如として電気が消えた。
背後から目隠しされたかのような暗闇という拘束に恐怖だけが増幅していく。あ、暗殺?……と思ったそのとき、奇妙なファンファーレが鳴り響いた。
「これより、このレストランに紛れ込んだネズミたちを排除します」……ではなかった。
YKB48のショータイムが始まったのだ。
救いの笛とはこのこと! 幸運この上ないが、居心地の悪さもこの上ない。
女子風呂の覗きがバレて名指しで非難された翌日の修学旅行のバス内の気分だ。写真でも撮ろうものなら銃殺されるかと思った。(ヒゲは撮っていた)
ステージでは、伝統楽器の演奏から、エレキギターを使ったPOP、タップダンスのようなクールなものまで、見ごたえのあるパフォーマンスが続く。が、早く帰りたい。終幕と同時に、拍手もソコソコに、コソコソと出て行こうとした帰り際。
「アリガトウ」
例えるなら、冬の終わりに咲いたシクラメンの花のよう。なんとも美しい声がする。
振り返ると「喜び組3」が笑顔で私たちを見送っているではないか!
「あ、綾波?」と声をかけたくなるくらいのハニカミ偏差値なのだけど、逆に萌える!
……ハッとした。
先入観。
先入観が私を支配していた。日本人であることなんてとっくにバレていたし、そもそも北朝鮮レストランは「日本人は立入禁止!」などでは決してなかったのだ。
喜び組のみなさん「サヨナーラ!」
私&ヒゲ「サヨナーラ!!」
ヒゲと二人、えびす顔でレストランを後にした。

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